9節から10節は、敵の実態を明らかにします。彼らの口には誠実さがなく、心はひどく悪く、のどは開かれた墓のようで、舌でお世辞を言います。ダビデは悪を単なる露骨な暴力だけで描いていません。偽り、歪曲、ごまかし、お世辞もまた、悪の重要な側面です。これは今日の私たちの現実にもそのまま適用されます。人を倒すのは、野蛮な敵意だけではありません。真実でない言葉、自分の利益のための計算、表裏のある態度が関係を病ませます。詩篇第5編は、口の問題も真正面から扱うのです。正直に話しているか、心地よい言葉だけで包み隠さずに真実を語っているか、振り返る必要があります。
ここでもう一つ重要なことに注意しましょう。ダビデは悪の現実を見て見ぬふりはせず、その前で絶望に陥りません。彼は敵の嘘を見てわかり、人の舌がいかに容易に腐敗するかも知っていました。しかし、その視線は人の罪だけに止まりませんでした。むしろ、彼はもっとはっきりと神の聖さと義をつかまえたのです。信徒も、世の混乱や偽りを見て冷笑に陥るのではなく、ますます神に逃れなければなりません。悪の現実を正確に見る一方で、希望の根拠を神に置くのです。
最後に、11節と12節は喜びと守護の宣言で締めくくられます。神に身をささげる者は喜び、主の名を愛する者は主の中で喜びます。「あなたは義人に恵みを賜い、盾のように彼を囲み、恵みで守られる」とあります。ここで大切なのは、義人の安全は環境の平穏から来るのではないという事実です。敵はまだ存在し、争いも完全に終わっていません。それでも、ダビデは神の恵みが盾となるという確信をもって歌います。信徒の平安は、問題が全くなくなるからではなく、神が取り巻き、約束の守りを約束しているという信頼から生まれます。
実生活に適用すれば、この詩編はとても実践的です。まず、朝の最初の一文を変えてみてください。スマホの通知やTo Doリストよりも先に、神に心を開く一文を一つ。短時間でも構いません。たとえば今日の御言葉のような短い聖句を握り、詩篇5篇3節を思い出して1日を始めてみてはいかがでしょうか。第二に、大切な決断を控えるときは、8節の祈りを使ってみてください。「あなたの道を私の目の前にまっすぐにしてください」という願いは、選択の瞬間に非常に具体的な基準となります。第三に、言葉の領域を見直してください。今日の私の話すことが正直か、誇張やお世辞を交えていないか、振り返ることは、詩篇第5編の重要な適用です。聖書を読んでいて気になる表現があれば、聖書を読むで前後をゆっくりと確認し、文脈の中で自分を映すことができます。第四に、祈りの後に見つめる訓練をしてください。ダビデは祈りだけで終わりません。待ったのです。静かに一日の進行を神に委ねる信頼が必要です。その意味で、祈りと黙想を積み重ねていく過程は、黙想とはを改めて考えるきっかけとなります。
詩篇第5編は、聖なる神の前で恵みに近づく者が、偽りに満ちたこの世の中でも正しい道を求めて、守りの恵みの中で一日を生きる姿を示しています。この詩篇は、朝の祈りの模範であるとともに、信徒の一日の全体を映す鏡です。神は罪を軽視されませんが、恵みによって御民を受け入れ、義の道へと導きます。ゆえに、今日の朝は恐れや忙しさではなく、神に対する信頼で始めるべきです。
あなたの今朝は何で始まっていますか。忙しさよりも先に神に目を向ける小さな習慣の変化が、一日全体を新しくすることがあります。聖なる神の前に正直に立ち、自分の功績ではなく、主の慈しみに依り、義の道を求める者は、揺れ動くこの世の中でも喜びと守りを手にします。
一行の要約: ダビデは聖なる神の前に恵みに近づき、毎朝正義の道を求める者は、揺れるこの世の中でも喜びと守りを享受することを教えています。