レビ記26章は従順と契約をどのように結びつけているのか
レビ記26章は、従順と不従順がもたらす結果を鮮明に対比しながら、懲らしめの中にあっても、神がイスラエルと結ばれた契約を破棄されないことを明らかにしています。

レビ記26章の中心は、従えば祝福を受け、従わなければ罰を受けるという単純な図式だけにあるのではありません。この章はまず、神がイスラエルをエジプトでの奴隷生活から導き出し、ご自分の民として生きるよう契約を結ばれたという事実に目を向けさせます。従順と不従順に続くそれぞれの結果、繰り返される警告、そして最後に再び語られる契約を、一つの流れとして読む必要があります。
従順とは、神の民として生きる具体的な姿です
神は、偶像を造ったり立てたりして、それを拝んではならないと命じられました。また、安息日を守り、聖所を敬うようにも命じられました。続いて、神の掟と戒めを守り行うなら、季節にかなった雨を与えると約束されました。
雨が降れば、大地は作物を実らせ、木々は実を結びます。脱穀はぶどうの収穫まで続き、ぶどうの収穫は種まきの時まで続きます。民は満ち足りるまで食べ、安心して暮らします。神が平和を与えられるなら、彼らは何も恐れずに身を横たえ、猛獣も戦いの剣もその地を荒らすことはありません。
この約束は、食べ物と安全だけにとどまりません。神はイスラエルのただ中に幕屋を置き、彼らの間を歩むと語られました。神は彼らの神となり、イスラエルは神の民となります。掟と戒めを守ることは、すでにエジプトの奴隷生活から解放された民が、自分たちを救い出した神の統治のもとで生きることでした。
13節は、この関係の出発点を明確に示しています。神は彼らのくびきの横木を砕き、胸を張って歩けるようにされました。イスラエルの従順は、奴隷生活から抜け出すための条件ではありません。すでに奴隷生活から救い出された民が歩むべき道として示されたのです。
不従順を重ねるほど、暮らしの秩序も崩れていきます
14節からは、これとは反対の流れが始まります。民が神の声に聞き従わず、命令を行わず、掟を退け、定めを嫌うなら、契約を破ることになります。その結果、病が襲い、種をまいても無駄になり、敵がその穀物を食べます。従順によって約束されていた豊かな収穫と安全が、すべて覆されるのです。
それでも聞き従わないなら、懲らしめはさらに重くなります。本文では「七倍」という言葉が繰り返し使われます。大地は作物を実らせず、木々も実を結びません。野の獣が人や家畜を襲い、道は荒れ果てます。町には剣と疫病が臨み、食糧が尽き、食べても満たされなくなります。
「それでも」「このような目に遭っても」「それにもかかわらず」という流れも繰り返されます。懲らしめが一度で終わるのではなく、民がなおも聞き従わず、神に逆らい続けるたびに、その結果はますます深刻になります。ついには町も土地も荒れ果て、民は諸国の間に散らされます。
特に、荒れ果てた土地が安息を得るという言葉は、冒頭の安息日の命令とつながっています。民がその地に住んでいた間に与えなかった休みを、人々が去って荒れ果てた期間に、土地が取り戻すのです。不従順は個人の苦しみだけにとどまらず、神が定められた休みと土地の秩序までも崩してしまいます。
懲らしめの果てにあっても、契約は破棄されません
散らされた民が、自分たちの罪と先祖の罪、神に逆らった過ちを告白し、心を低くするなら、流れは再び変わります。神はヤコブ、イサク、アブラハムと結ばれた契約を思い起こし、その土地を心に留めると語られます。
民は自らの罪のために罰を受けますが、神は敵の地にいる彼らを退け、完全に滅ぼすことはなさいません。彼らと結ばれた契約も破棄されません。神がイスラエルの神となるために、彼らの先祖をエジプトから導き出されたからです。
したがって、レビ記26章は、従順による祝福と不従順による罰を並べるだけでは終わりません。エジプトでくびきを砕かれた神、民のただ中に住もうとされる神、繰り返される不従順を懲らしめる神、そして民が散らされた後も契約を破棄されない神の姿を、一つの流れの中に描いています。
今日は、レビ記26章全体を読みながら、「耳を傾けて実行する」場合と、「逆らって耳を傾けない」場合に、それぞれどのような結果が続くのかを一つずつ書き出してみましょう。二つの流れを並べて確かめると、この章に記された長い警告が、神との契約の中でどのようにつながっているのかを、より明確に読み取ることができます。
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